い(い)きる。

生きることは言い切ること。

エ/ヱヴァの「考察」、庵野的にアリやナシや

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qの内容に触れています。










せっかくなので、ヱヴァQだけ見直した。たぶん、5年ぶり三度目ぐらい。

公開当時、世間で分からない分からないと言われていたQ。いま改めてシンエヴァのための復習のつもりで見てみると……やっぱり分からんな。

いや、物語の筋という意味でならだいたい分かる。ものすごく大雑把に言うなら、自分が無自覚に引き起こした本来取り返しがつかないはずの大きな被害(サードインパクト)を回復させようと偽りの希望(二本の槍による世界の再生)にすがりついてさらなる悲劇(フォースインパクト・カヲルの死)を呼び寄せてしまう話、とまとめられるだろう。構造としては、猿の手なんかと同じ類型に属する物語と言えるんじゃないかな。

問題は、そうした物語の大きな流れではなく、細かい設定の部分にある。Q初出の用語に限っても、ネーメズィスシリーズ、エヴァの呪縛、アダムスの器、インフィニティ(のなり損ない)、カシウスの槍、アダムスの生き残り、L結界密度……これらがほとんど何の説明もなく次々に繰り出されるのだ。意図的に混乱させようとしているとしか思えない。

もちろんその中には、前後の文脈でなんとなく意味が想像できるもの、別に意味が分からなくてもいいんだろうなと思えるものも含まれてはいる。だがそれを考慮しても、この説明不足の度合いはやはり異常だ*1。単純な用語以外でも、カシウスとロンギヌスの槍が実際にそろっていたら何が起こっていたのか、第一使徒であるカヲルが第十三使徒に堕とされたとはどういうことなのか、青い地球のような何か?など、疑問は尽きない。

この分かりにくさを指して、(旧)エヴァらしさが帰ってきたと喜ぶファンも多い。たしかに、旧シリーズのブームの時は、謎が謎を呼ぶ難解さこそがエヴァの大きな魅力とされていた。実際Q以後は、ネットでの「考察」活動が序・破の時よりもずっと活発になった印象がある。

しかし、むしろそれだけに、どうして今*2になってわざわざこれをやるのか?それがいちばん不可解な点になっている。

なぜなら、庵野秀明監督はかつて、作中の設定にのめり込んでエヴァ謎本を買い漁るようなオタクのことを、ひどく憎んでいたはずだからだ(作品内容やインタビューなどから勝手に推測)

別に作り手の側がお墨付きを与えたわけではないにせよ、旧エヴァのファンの作品受容態度が、「大きな物語」を求めず断片的な細部に「動物的」に反応するだけの「データベース消費」だと形容されたこともある。

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

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だからこそエヴァを新たに作り直すにあたって、序や破ではカタルシスのある一本筋の通った物語を重視し、オカルト的な謎の部分は比較的控えめにしてきたのだと思っていたのだが……

もしかして新劇の観客は、庵野秀明に試されているのだろうか。どう見ても考察してくれと言わんばかりの謎だらけのQを差し出されて、喜び勇んで考察を始めたりしたら、これだからオタクは!みんな死んでしまえばいいのに!というお叱りが待ち受けているのか。そんなん虐待ですやん。

もちろん、作り手が「考察」を望んでいようといまいと、別に製作者を喜ばせるためにアニメを見ているわけでもないのだから、消費者一人ひとりが自己責任で作品を楽しめばいい。設定考察遊びにふけるのも、現実の社会問題と絡めて語るのも、モグ波でシコるのも、本来は完全に自由であり等価だ。

ただ、ものがエ/ヱヴァだけに、思うまま作品を消費してやろうとしても、スクリーンに実写で映し出されたオタクの姿がどうにも脳裏にちらついて、ブレーキがかかってしまうところがあるのだった。何年経っても消えないトラウマ。

そんなわけで、エヴァに限らず設定がちょっと緻密で複雑だったりするフィクションの作り手は、受け手による「考察」「設定語り」に対しての感情を、できれば率直に打ち明けてほしいと思っている。

実際のところ、嬉しいの?ウザいの?*3

どちらでもいいのだけど、そこがはっきり分かっていた方が安心して作品に向き合えそうな気はする。指示待ちマニュアル人間でごめんなさい。

*1:14年の眠りから覚めて世界の変化に直面した碇シンジの戸惑いに観客をシンクロさせるため、敢えて説明を省いている、という解釈は一応可能だ。

*2:今、といっても、Qも既に6年以上前の作品なのだが。

*3:まあ表向きには、作品は世に出した時点でお客さんのものでもあるので自由に楽しんでください(^^)とか、作品を深く掘り下げてもらえて嬉しいです(^^)とか無難なことを言うクリエイターが大半だろうが。やはり信用できるのは、自作品のファンを突き放すことにためらいの無い富野由悠季ぐらいか(モビルスーツの些末な設定話なんか振ったらビール瓶の割れた方を顔に押しつけられそう)

最近あった良かったこと。

・十年以上使い込んで切れ味がだいぶ悪くなってたのに我慢して使い続けてた包丁をようやく買い換えたら、それまで引きちぎるように切ってた鶏もも肉に、ズシャアッ!と刃が通るようになったので良かった。

・ギョーザ(既製品)を焼くたびにフライパンに皮がベッタリくっついて、もー!もーーっ!(ToT)と地団駄踏んでたんだけど、ネットでフライパン用ホイルを使う方法を見て半信半疑で試してみたら、一発で完全に解決したので良かった。

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どちらも、さっさと調べてさっさと実行すればそれだけで生活が少しだけ快適になっていたのに、グズグズと解決を先延ばしにしたせいで勝手にストレスを溜めていた例だ。小さな幸せの種はいつでも、手の届くところに転がっているのかもしれない。具体的にはダイソーとか(包丁もホイルもダイソーで買いました)

青い鳥 (新潮文庫)

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キャラクターを使った適切な政治的主張の在り方を考える

7月15日、週間少年ジャンプで連載されていた人気漫画『遊☆戯☆王』の作者である高橋和希先生が、Instagramで公開したイラストの中で遊戯王のキャラクターに、現政権に対して批判的な発言をさせていたことがネットで話題となりました。

このイラストへの反応としては、本来そのキャラクターが絶対に言わなそうな発言をさせていることに強い違和感を覚えた、というファンの声が特に目立ったようです。高橋和希先生はこの件について既に謝罪をされています。


なにやらお騒がせしております。いろいろ意見を頂き、キャラクターに政治的表現をさせてしまった事、ファンの皆様に深くお詫び申し上げます。

わたしは遊戯王の原作を読んだことがなく、オリジナルストーリーであるアニメ『遊☆戯☆王ARC-V』しか見たことがないので、今回描かれたキャラクターへの思い入れ自体には同調できません。

ですが、自分の好きな作品に置き換えてみればファンの気持ちはよく分かります。たとえば遊戯王と同じTCG作品でいうと、『バトルスピリッツ 少年激覇ダン』『バトルスピリッツ ブレイヴ』の馬神弾に「ありがとうございました。いい投票でした」なんてセリフを言われたりしたら……いや、ダンさんなら言わなくもないか。世界を裏から操るフィクサーとも戦ってた人だからな。その政治活動(たたかい)、いまだ終わらず――

バトルスピリッツ少年激覇ダン1 [DVD]

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バトルスピリッツ ブレイヴ 1 [DVD]

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それはさておき、一方で、この件の本当の問題は、「既存作品のキャラクターを通して政治的な主張を行ったこと」自体ではないのではないか?と疑義を呈する意見もあるようです。


今回の炎上事件、キャラクターに政治的表現をさせてしまったことが問題だとされています。

 ただ、筆者はキャラクターの政治的表現というよりも、その内容に問題があったことが炎上した一番の理由ではないかと考えます。

 たとえば「Aという理由があるから政党Bを支持します!」という意見であれば、高橋和希先生の考えのひとつとして受け入れられる可能性はあります。

 けれども今回の表現は「売国政権」、「独裁政権」というヘイト発言です。同様の思想を持つ活動家の方たちは喜ぶかもしれませんが、一般の人たちからすると「突然、何?」との驚きが先にきて共感されません。

 そして意見については賛同・反対も表明できますが、多くの人はヘイト発言には賛同できません。さらにそれが原因で炎上した場合に、擁護することも難しくなります。

なるほど。これもまたもっともな話です。どこまでをヘイトとするか、ヘイト表現に制度的な段階で制限を加えるべきかで意見の相違はあるにしても、ヘイトが悪であるという認識は市民の大多数が共有していることでしょう。政治的な主張と、罵倒・中傷・揶揄などはなるべく切り分けるに越したことはないと、わたしも思います。

では、架空のキャラクターに自身の政治的な主張を代弁させること自体には問題がない、と仮定した上で。ヘイトを含まない、建設的な形での政治的なメッセージの例をひとつ具体的に考えてみることにしましょう。

使用するキャラクターは、直感的なUIによるバーチャルYouTuberアバターの作成・スマホでの気軽な映像配信が可能な優れものアプリ“カスタムキャスト”を用いてわたしが作ったオリジナルvtuber、扶持天使(ふち・えんじぇる)ちゃんです。

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(配信開始からたったの11日でダウンロード数が100万を突破したんですって!すごいですね〜!(※当ブログと株式会社ドワンゴとの間に金銭の授受などの繋がりは一切ございません))

この褐色猫耳白目萌え〜(*´▽`*)な扶持天使ちゃんに、今回の参院選に対するわたしの想いを素直に乗せます。これを……こうして……こうです!

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いかがでしょうか。

このような、誰を傷つけることもないポジティブな形での表現であれば、キャラクターの価値を落とすことなく主張を他者に伝えることも可能なはずです。

これはあくまでも一例に過ぎませんが、皆さんの政治活動の参考に少しでもなれば幸いです。社会の一員である市民として、正しく、楽しく、政治参加を行っていきましょう。

それでは(^^)/~~~

「あー、黒がよかったなー」

(元増田)
https://anond.hatelabo.jp/20190713213304


今日の午前中、ダイソーでショルダーバッグを買った。300円のやつ。本当は黒がほしかったんだけど、明るめのグレーしかなかったので仕方なくそれで。

それからこの時間まで、半日の間ずっと。気がつくと頭の中が、

「あー、黒がよかったなー」

で埋まっている。

いやいやいや。

そんなに黒がほしかったんなら、別にどうしても今すぐ入り用ってわけでもないんだし、今回は見送ればよかったじゃない。入荷するまで待つか他の店舗を回るか、なんなら取り寄せだって可能なわけでしょう?

それに、どピンクとか扱いの難しい色ならともかく、グレーでしょ?大きな視点で見れば、実質黒みたいなもんじゃん(雑)。ちょっと頭を切り替えて、ふうん、よく見たらグレーもなかなか悪くないよね。うん、グレート!(死刑)とか思えないわけ?

そもそもさあ、100均ダイソーの中だからちょっとした「買い物」に思えるけど、実際のところ300円だよ、300円。ソシャゲガチャ一回まわせるかどうかって額。仮にドブに捨てたとしても、笑って忘れろよ。

その程度の話にグジグジグジグジこだわり続けて、せっかくの思考時間を無駄にしちゃって……なんなのこいつ?いや、自分なんだけどさあ。

そして、こんな無駄な文章をわざわざ増田に書いてしまったことで、自分がもっともっと嫌いになるのでした。

黒い季節 (角川文庫)

黒い季節 (角川文庫)

ラノベ『通常攻撃(略)お母さんは好きですか?』の気になる部分

(元増田)
https://anond.hatelabo.jp/20181023203337


せっかくアニメ化が決まったことだし、この前の30時間無料で原作を5巻まで読んだ(最新巻は6巻)

いわゆるフルダイブ型のVRMMORPGのテストプレイヤーに選ばれ、それなりの強力な装備を与えられたはずの男子高校生主人公。だが、何故かそれ以上の超強力な装備を得て特異な能力も発揮する自分の母親がパーティにいるせいでなかなか活躍できずにのたうち回ることに……という設定を基本にしたファンタジーコメディ。

要素の組み合わせは突飛だが、思春期男子の多くが母親に感じるであろう普遍的な苛立ちや気恥ずかしさが、いかにも最近のラノベ的な世界の中に上手く盛り込まれている。簡素な文章や大雑把すぎるネーミング(賢者キャラなので「ワイズ」、回復キャラなので「メディ」、「カーサーン王国」「ママン村」などなど)で軽く見られそうではあるし実際恐ろしいほど軽く読めるのもたしかだが、決して出オチだけの作品ではない、と思う。

その上で、若干気になる部分がある。

この作品には、主人公の母である大好真々子(おおすき ままこ)以外にも多数の母親キャラが登場する。その多くは、子供との間に何らかの問題を抱えており、これを主人公達が解決するのがシリーズの一つのパターンとなっている。

それは、真々子と主人公だけではなく、様々な形の母子関係を肯定しようという意図によるものだろう。あとがきでも、母子に正解はないとか母親を笑いものにするのが目的ではないといった考えが明言されている。

が、それでも、真々子さん母親としてあまりに最強すぎんよなあ、という印象があるのは否めない。

本作のメイン母である真々子は主人公の視点からは、子離れできない母親でゲーム世界の冒険でも出しゃばって息子の活躍の機会を奪う悩みの種、ということになっている。だが客観的に見れば彼女は、美人で年齢不相応に若々しくて家事万能で息子のことを何より優先するがその他の人間を蔑ろにするわけでもない人格者という、単なる完璧超人でしかない。実際、2巻以降は親子仲も概ね良好なまま進行している。

ホスト狂いでも教育ママゴン(死語)系モンペでもギャンブル依存症でもやはり母親は母親である、という多様性肯定のメッセージ自体は決して悪くはない(現実には子供から引き離すべきレベルの毒親も存在するという話はさておき)。悪くはないのだが、美人で年齢不相応に若々しくて家事万能で息子想いでたまにビームも撃つ専業主婦の大好真々子さんと並べておいてそんなことを言われると、そこに抜きがたい空々しさが漂ってしまう(1巻作中にそこを指摘するようなやり取りも一応あるのだが)

もちろん真々子の母親としての完璧さはギャグの一環として、かなり、だいぶ、極度に誇張して描かれてはいる。しかし、あくまでも方向性の話に限定したとしても、結局はこういう真々子さん的な優しくて献身的なお母さんが「母親」のあるべき姿、正解として提示されてしまってるんじゃないの?という疑念がどうしても拭えない。

非常に意地悪な言い方をすると、本作における真々子以外の母親の扱いは、多様性の肯定というよりは、真々子という理想を基準にしての妥協による許容に見える。至らない母親だがまあ許すよ、という感じ。問題解決の決め手は多くの場合、真々子の包容力なので尚更だ。

じゃあどうすれば良かったのかというと、所詮いち読者に過ぎない自分には明確な答えは出せない。いっそ他の母親キャラを一切登場させなければ、少なくともこういった点はだいぶ緩和されるだろうが、それでは物語も完全に別物になってしまい、今ある面白さも同時に消え失せることだろう。そもそも、ある程度このような観点に配慮して書かれているからこそ、気になるレベルで表面化しているという話でもある(最初から倫理観が狂っているような作品であればこの程度の件は逆に認識すらされないはずだ)。難しい。

自分は母親ではないしなる予定もないので、上に書いたような点も、ちょっと引っかかるというぐらいで済んでいる。だが、現役の母親や出産希望者といった当事者なら、良くも悪くもより強く反応する部分だろう。あるいはフェミニスト寄りの人々も、何か物申したくなるかもしれない。フェミニスト且つお母さんなら間違いなく食いつく。

現状『通常攻撃〜』は原作ラノベやコミカライズの時点では、そこまで広い層に届いている作品ではない(と思われる)。だがアニメが放送されることで、世のお母さん方やフェミニスト達の目に触れる可能性も高くなるだろう。その時、果たしてどのような反響を呼ぶことになるのか。

自分はそれを心配している、わけではない。むしろ軽くであれば炎上、しちゃってもいいんじゃないかとすら思っている。

アニメが放送中止になったり原作が打ち切り絶版回収になったり作者がノイローゼになったりしない程度の適度な、「どうだ明るくなったろう」ぐらいのほどほどな燃え方で、お母さん議論が盛り上がればいいな、というのが自分の希望だ。女性キャラ全般、特に少女キャラについての話ならともかく、オタク向け作品における母親の描き方が大きく取り沙汰される機会もそうそうないだろうから。

アニメの開始が今から待ち遠しい。

『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?』がTVアニメ化決定。お母さん役は茅野愛衣さん! - 電撃オンライン

(まったくの余談だが、自分の心のエロゲはCATTLEYA『教育ママと伯母と叔母』で、これの母親(実母)ルートは、毒親ギリギリぐらいの教育ママと主人公がやはり母子関係を改めて築き直す話となっている。ただしセックスをしながら。興味のある方はそちらも併せてプレイしてみてもいい?かも?しれない???)

ドキッ!丸ごと叙述!誤認だらけの連作短編  似鳥鶏『叙述トリック短編集』(講談社)

叙述トリック短編集

叙述トリック短編集

叙述トリックが好きだ。

ミステリを読んでいるなら知らない人もあまりいないだろうが、叙述トリックというのはこういうものだ。

「はてサフェミアベノセイダーズ!」
歴史修正主義表現の自由戦士KKO!」
「互助会!」
「お茶が出ませんでした!」
 今日もはてなでは、一般の人間なら眉をひそめるような汚い言葉が飛び交っている。哀しいことだが、これがかつては日本IT産業の最先端と言われたはてなの、なれの果てなのである。恐ろしい恐ろしい。
「せめて単著を出しやがれ!」
「……日本死ね!」
「ゼヴうっ!」
 株式会社はてなのエンジニア、日本(ひのもと)一郎は、奇妙な呻きを上げて壁までまっすぐ吹っ飛んだ。一線を超えた暴言に堪忍袋の緒が切れた同僚が、日本の顔面を全力で殴りつけたのだ。
 周囲には他の社員もいるが、誰も日本を助け起こそうとはしない。日本は白目を剥いて痙攣したまま放置された。
 社内での殴り合いの喧嘩など日常茶飯事。はてな社員は現実の暴力にすっかり慣れきっており、運営するネットサービス上での諍いに滅多に介入しないのもそれが理由だ。彼らにとっては、肉の痛みも伴わないネットバトルなどお医者さんごっこに等しい。

ブックマークやブログ、増田などネット上の「はてな」で行われている口論かと思いきや、実は「株式会社はてな」で実際に人間が対面していた……という話。あくまで例なので質は気にしないでほしい。

つまり叙述トリックとは、たしかに嘘はついてないけど人としてそれどうなの?という書き方をする、小説上のテクニックということになる。ミステリで生まれ、現在でも主にミステリで使われているが、他ジャンルでも広く応用されている。ちゃんとした定義はググったりWikiったりして確認してほしい。

わたしと叙述トリックとの出会いは、恐らく近い世代の多くの人がそうであるように、ゲームの原作でも名前の知られたあの作家の、アレだった。

それまでにもいくつか推理小説は読んでいたものの、物理トリックやアリバイトリックは正直、それを正しく理解して味わうために多少の努力が必要なことが多かった。恐らくは大脳が壊れているせいだろう。そんなわたしにとって、たった一行でそれまで見えていた世界が一変する叙述トリックの存在は、驚きであると同時に救いでもあった。

事件の内容が多少うろ覚えでも、細かいことはすっ飛ばして意外性の快感を味わわせてくれる。こんな裏技みたいなミステリがあっていいのかと、感動すらした(もちろん書く方にはチートどころか一層大きな苦労があるのだろうが)

前述したように叙述トリックは、既にミステリ外でもしばしば使われるメジャーな手法となっている。ミステリプロパーの読者からは安易な叙述トリックの使用は色々とうるさく言われることもあるようだが、わたしはガチのミステリ読みでは全然ないので一切気にしない。軽率な叙述でじゃんじゃん読者を驚かせてほしいと思っている。

好きな叙述トリック作品は、上に挙げたファーストコンタクトのやつ以外だと、一文字のタイトルのやつと、二文字の作家のやつ。

そんなわたしの大好きな叙述トリックだが、一つだけ問題がある。叙述トリック作品を浴びるほど読みたいと願っても、普通はその欲望は叶えられることがない。なぜなら、叙述トリックであることを露骨にアピールするミステリなどほとんど存在しないからだ。不意打ちこそが基本の叙述トリックにとっては、その存在を仄めかすだけでも作品にとって命取りになりかねない。

……そのはずなのに、叙述トリックを扱ったミステリばかりを集めた連作短編集という、存在自体が矛盾のような本が出てしまった(発行は2018年9月)。それがこの『叙述トリック短編集』だ。

たとえるなら、全ての黄身が双子の卵パックみたいなものとでも言えようか。我ながら下手なたとえだが、この贅沢さがなんとなく伝わってくれたら助かる。

叙述トリックを看板に掲げた上で出す叙述ミステリの困難さは作者も当然承知していて、冒頭の「読者への挑戦状」で触れられている。予め叙述トリックの存在を宣言することで、叙述トリックの後出しによるアンフェア性の回避が可能であると示した後に、以下の文章が続く。

 問題は「それで本当に読者を騙せるのか?」という点です。最初に「叙述トリックが入っています」と断ってしまったら、それ自体がすでに大胆なネタバレであり(略)、読者は簡単に真相を見抜いてしまうのではないでしょうか?
 そこに挑戦したのが本書です。果たして、この挑戦は無謀なのでしょうか? そうでもないのでしょうか? その答えは、皆様が本書の事件を解き明かせるかどうか、で決まります。

では、それぞれの短編がその挑戦に成功したのかどうか……については、実際に読んで確かめてみてほしい(作者いわく「叙述トリックが入っている作品はしばしば書評で「ネタバレ防止のため詳しくは書けません」という言い方をされます」)

個人的には、全作叙述トリックという趣向を晒した上で「とにかく、騙されるお話です」とまで言い切っているのだから、当然なにか特別な対策をしているのだろうと予想していたのだけど、基本的には「普通の叙述トリック」が多く、やや拍子抜けなところはあった。「ダミーの叙述トリック」ぐらいは仕込んでくるかもと身構えていたのだが。

そんな中で特に印象に残ったのは、様々な国から来た学生が集まる安アパートで起こった盗難事件を扱う「貧乏荘の怪事件」。ミステリにはあまり詳しくないので独創性を量るうえで参考になるか分からないが、少なくとも自分は、この形の叙述トリックを初めて見た。叙述トリックにまだこんなやり方が残っていたのかと嬉しくなる。

しかも、あまりにもフェアに、言い換えるとぬけぬけと書かれているため、真相が明かされた時の悔しさも格別だ。悔しくて笑ってしてしまった。

たぶん世界で初めてのコンセプトであり(もし先例があったら適当言ってごめんなさい)、それを思いついて実現した点だけでもじゅうぶん価値がある短編集になっている。toi8絵の学園ミステリでデビューして主にライト文芸方面で活動している(らしい)作家だけあって、キャラクター小説的側面も兼ね備えているので、色んな人に気軽に手に取ってもらいたい一冊……えっ、あのシリーズ今はtoi8絵じゃないの?

ところで、「ゲームの原作でも名前の知られた作家の叙述ミステリ」には、わたしが知るだけでも候補が複数あるが、皆さんはどれを思い浮かべただろうか。答え合わせはしない。

かまいたちの夜

かまいたちの夜

YAKATA

YAKATA

キノの旅ファンだから絶対に自民党に入れる

(元増田)
https://anond.hatelabo.jp/20190709211134



anond:20190707013814

キノの旅とは言うまでなく、電撃文庫から発売されている人気ライトノベル。旅人キノと、喋るバイクのエルメスが様々な国をめぐる連作短編ファンタジーだ。私はこのシリーズを小学生の時からずっと読み続けてきた

キノと自民に何の関係があるの?って思った人もいるかもしれない

実はキノの旅の原作者である時雨沢恵一先生は、自民党の熱心な支持者なんだよね。さすがにプロ(ラノベ)作家というお立場があるからはっきりと支持を表明したことはほとんどないけど、ツイッターでフォローしていると、自民が本当に好きなんだなあ(そして野党が本当に嫌いなんだなあ)ということが窺える発言がちょくちょく流れてくる


時雨沢先生のこういった発言を見ていて、たしかに自民は信頼できる、というより野党が全く信頼できないと考えるようになったところはもちろんある

でも実はそれ以上に、私はキノという作品自体から強い思想的な影響を受けてきた

銃器の取り扱いなどを除いて、キノの旅は基本的に抽象化された世界の寓話ファンタジーだ。バイクは喋るし、それぞれの国ごとに別世界かと思うほど文化や技術などの設定が一変する。それでも、作品を貫いている芯には圧倒的な「リアリズム」がある

人間の弱さ、愚かしさ、美しさ。それを旅人という部外者の視点から見つめるキノの冷徹な目

そこには、いっときの浅はかな感情ではなく理性に従って現実的に行動すること、それこそがより良い明日を作るのだというメッセージが、何度も形を変えて表現されている

現実的、というのはつまり、時には非情にならねばならぬ場合もあるということだ。お花畑思考で愛だの平和だの平等だのを口先だけで唱えているだけでは、差別や争いを止めることもできずかえって被害を広げてしまうだけだから。守るべき命とそうではない命を、冷静に選別する勇気を持たなくてはならない

キノの物語を通してこれを頭ではなく心で学んでしまえば、押し付け〝平和〟憲法に根拠なく執着して政権の足を引っ張るだけの野党に投票する選択はもはや無い。彼らが自滅するのは勝手だけど、日本や私たちを道連れにされるのは困る

キノの旅と、そして日本が好きな私は、自民党に入れます。これまでも、これからも

たぶん、他のキノ読者の多くもそうするんじゃないかな(キノ好きで立民だの共産だのに入れてる人たちがもしいたら、一体なに考えてるんだろと正直思う)