い(い)きる。

生きることは言い切ること。

ラノベのエロ表紙を無くす必要がない理由

はい、釣りタイトルですごめんなさい。

正確には、「『子供にとって児童文学と一般文芸との架け橋であるべき・はずのラノベがエロ表紙によって潜在的な読者を逃している現状は教育上の損失である』という批判から見た場合にはむしろエロ表紙を無くす必要が特にない理由」ということになるかと思います。長ぇ〜!最近のラノベかよ〜〜!(^^)

この記事は、以下のツイートを発端にして起こったライトノベル(の表紙)に関する議論?を前提にしています。


これについては特に説明しませんので、下のまとめなどを参照してください。

 
 


また、「子供にとって児童文学と一般文芸との架け橋であるべき・はずのラノベがエロ表紙によって潜在的な読者を逃している現状は教育上の損失である」というのは、以下のようなツイートの意見を大雑把にまとめたものです。


あくまで、これらのツイートに対する反応という形になるため、本来の論点である「不快に感じる人間がいるのだから配慮すべき(ゾーニング)」「子供向けの商品カテゴリでエロはいかがなものか(レイティング)」「性的消費(セイテキショーヒ)」といった問題にはほぼ立ち入りません。ご了承ください。



さて、いきなりですが、「読書の入り口」という観点からはむしろラノベのエロ表紙を無くす必要が特にない理由を、はっきり言ってしまいましょう。それは単純に、「児童文学と一般文芸とを繋げられる存在は別にラノベだけではないから」です。

発端となったシュナムル氏の娘さんは氏の分析によると、『境界線上のホライゾン』の表紙で「自分の属する性別の体が性的に異様に誇張されて描かれ、ひたすら性的消費の道具として扱われる」ことに気持ち悪さを覚えているようです。あくまで一つの意見ではありますが、似たような感想を持つ女子は多いだろうと想像できます。そのような子供・若者たちにとっては、たしかに境ホラのようなおっぱい表紙のラノベは何があろうと決して「読書の入り口」にはなり得ないでしょう。

ですが幸いなことに、世の中には少女小説というカテゴリが存在しているのです。代表的なレーベルとしては、コバルト文庫集英社)、ビーンズ文庫(KADOKAWA)、X文庫ホワイトハート (講談社)などがあります。

竜宮輝夜記 染まれ君よと、恋に舞う (角川ビーンズ文庫)

竜宮輝夜記 染まれ君よと、恋に舞う (角川ビーンズ文庫)

(各レーベル名で検索をかけて最初に出てきたものをそのまま貼っただけです)


これは、同じ若者向けであっても、ライトノベルのような多く見積もって3、40年程度の歴史しか持たない新興成り上がりジャンルと違い、戦前から続く由緒正しい文化の継承者であり、一般的に文章のレベルなどもラノベより遥かに高いものとされています。また、当然のように女性に向けて書かれており、作家の多くも女性であるため、女性の「体が性的に異様に誇張されて描かれ、ひたすら性的消費の道具として扱われる」ような表現もほぼ存在しません(たぶん)

これなら、親御さんも娘さんも安心して買い与え、読みふけることができるはずです。

時折、少女小説ライトノベルの一部なのではないか?といった声が不届きなラノベ帝国主義者の間から上がることがありますが、これは絶対的に間違っています。男性の短絡的な性欲を満たすためだけに生まれ、現在までその姿のまま存在し続ける俗悪なジャンルであるライトノベルとは根本的に異なり、少女小説は時代によってその姿を変化させながらも真摯に社会と向き合い、少女の人生の灯火となってきたそれはそれは有り難い、いわばお経のような小説なのです。

本来、ライトノベルと比較することすら不敬であると言えるでしょう。最初に「ライトノベル」という用語が考案された時に想定されていたのがソノラマ文庫コバルト文庫であったという事実など、歴史の大きなうねりの中では塵芥でしかないのです。

このあたりの正しい歴史認識については、東海学園大学人文学部人文学科講師の大橋崇行氏の名著、『ライトノベルから見た少女 / 少年小説史 』を参照してください。

大橋崇行 - Wikipedia



さて、これで女性は片付きましたが、待て!男から見てもあの奇乳は気持ち悪いぞ!という意見もあるでしょう。

(余談ですが、単に極端に大きいだけの乳房を「奇乳」と呼んでしまうことは果たして倫理的に妥当なのでしょうか?)

そういった人々と同じ感性を持つ(またはそういう親の)男子は、読書の入り口にたどり着くことすら許されずに実質的文盲として一生を終えるほかないのでしょうか?

いいえ、そんなことはありません。なぜなら、現代日本にはライト文芸があるからです。

それ訳したら普通に「ライトノベル」じゃね?という奇妙な名を持つこの小説群は、近年急速に発展してきた領域で、一般的には「ラノベと一般文芸の中間」に位置するものと理解されています。主なレーベルは、メディアワークス文庫新潮文庫nex講談社タイガなど。

ラノベ同様に、表紙に漫画的なイラストで登場人物が配置されることが多く、また、内容面でもキャラクター性が強い(別名を「キャラ文芸」というぐらい)ですが、ラノベに比べて全体的に洗練された雰囲気で、言い換えるとスカしているのが特徴です。「あやかしカフェのほっこり事件簿」などの人気ジャンルを見ても分かるように、ミステリやそれに近い作品が目立つカテゴリでもあります。

私見では、一般の娯楽小説(特にミステリ)にあったキャラクター性の強い部分と、ラノベ内の一般文芸寄りな作風の作家・作品が接近しあって衝突して爆発して生まれた、というのがライト文芸の成り立ちなのですがわたしの史観などどうでもいいですね、はい。

これならば、羞恥心が人並み外れて強いタイプのお子様や親御さんも、ラノベと違ってさほど恥ずかしくはないのでは。想定上の対象年齢はやや上ですが、ラノベのおっぱい表紙に嫌悪感を持つようなイキのいい男子であれば、児童文学から直接移行しても、問題なく読みこなすことができるはずです。


仮に上の二つのいずれともいまいち相性が悪かった場合でも、なんと呼んでいいのか微妙なところですが、「ラノベでもライト文芸でも少女小説でもないティーン向けの小説」というものも、数は少ないながらも存在しています。

恋する熱気球

恋する熱気球

UFOはまだこない

UFOはまだこない

(普通にYAヤングアダルトと呼べばいいのでは?と思う人もいるかもしれませんし、わたしもそれに同意したいのですが、専門家の方によると、YAというのはアメリカで生まれたカテゴリでありアメリカにしか存在しないらしいのです。もし日本の作品をYAと呼ぼうものなら、すぐさまアメリカから図書館警察が飛んで来て逮捕されるとかされないとかナホトカ……)


YAはアメリカのティーンを対象にしたアメリカ独自のジャンル


とまあ、現在このぐらいには、一般文芸と児童書の橋渡しとなり得るラノベ以外の小説が存在しているわけです。

これだけの選択肢があって、それでもなお一部の作品にエロ表紙が存在するだけでラノベ全体を忌避するような(あるいはそのような親を持つ)子供の「読書の入り口」のためだけにラノベがエロを控えなければならない理由って、何かありますかありませんねご理解いただけて感謝します(早口)

かつては比較的ユニセックスだったはずのラノベが男性読者優先に傾き、また、一部の作風をライト文芸として切り離してしまったような、趣味の細分化タコツボ化を果たして歓迎するべきなのか?という疑問はあるでしょうが、それは別問題です。ここでの話はあくまで、エロ表紙の蔓延によってラノベが読書の入り口として機能しなくなり、このままでは活字離れが更に進行してしまうという危機感についてなので。繰り返しますがゾーニングやレーティングの是非についても触れません。

ラノベだけが読書の入り口としての間口の広さを要求されるのは少々理不尽な気もします。原理的には、少女小説ももっと少年に開かれるべき、といった批判もあり得るのに)



ここまで書いてきておいてなんですが、わたし自身は、読書の入門編としてのみラノベその他のカテゴリに価値を見出すような態度にはかなり批判的です。さらに言えば、児童文学→ラノベその他→一般文芸というような単純なステップアップの構造自体を疑っています。

それまで児童文学もラノベもほとんど読んでいなかった人間がいきなり「普通の小説」を読み出すこともあるだろうし、純文学をずっと読んできた人間が突然ラノベに目覚めることもある。そういった流動性こそが読書の本質に近いと思うのですが、あまり小説を読まない人(親?)に限って、年齢・学力の向上に合わせて読むものを切り替えるという成長モデルにとらわれやすい印象があります。

まあ何にせよ、みんなラノベを、というか小説を、もっと「普通に」読むということを考えた方がいいんじゃないかなあと思いますね。所詮は娯楽なんだから。そこで「読書の入り口」みたいな変な重荷をあまり背負わされると、“ライト”ノベルとしての軽やかさを失ってしまうのではないか、そうなると逆説的に「読書の入り口」としての機能も却って弱まるのではないか……といったモヤモヤを若干感じたのが、今回の騒動でした。




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