WEB小説の現状に対する批判の声
2010年代以降大きく注目されるようになった、「小説家になろう」に代表される小説投稿サイト。その隆盛は現在でも続いており、日々多数の作品が投稿され、無数の人間に読まれている。
作品数40万以上、登録者数80万人以上、小説閲覧数月間11億PV以上。
投稿作品の書籍化および、コミカライズやアニメ化といったメディア展開の話題も尽きることがなく、この巨大な流れはまだ当分は止まりそうにない。
しかし同時にWEB小説業界は、以前から様々な批判にさらされてきた。
中でも目立つのは人気ジャンルへの極端な偏重、すなわち、異世界転移・転生、チート、ハーレム、もう遅い……といった要素を含む、いわゆる「なろう系」一強の問題である。もちろん他のジャンルがないわけではないが、書籍化される作品を見ても多くが「なろう系」であり、一般層にとってはもはやWEB小説の代名詞にすらなっている状況だ。
これには特に書き手の側から、SFやミステリや歴史・時代小説や本格ファンタジーや純文学などのWEB小説における「マイナージャンル」の自作が膨大な数のなろう系に埋もれてしまう、といった不満の声が頻繁に上がっている。
サイト側も、ジャンルを指定したコンテスト開催などの手段で多様性回復を図ってはいるが、どこも完全に成功しているとは言い難いようだ。
これらを踏まえて、WEB小説の現状を補うような新しい投稿サイトの形を考えてみる。
承認制小説投稿サイト(仮)
現在のWEB小説が抱える、特定ジャンルへの一極集中という問題。この原因をひとことで言うと、「クオリティコントロールの欠如」ということになるだろう。
誰でも自由に作品を投稿できること自体は素晴らしいが、当然その質は(石が圧倒的に多い)玉石混淆となる。そういう環境では読者は冒険を嫌って、面白さの方向性がある程度予想しやすいジャンルに流れやすくなり、書き手も読まれるために人気ジャンルでの活動を選ぶ……という悪循環が生まれるわけだ。
WEB小説の書籍化を含めた商業ライトノベルの世界でも、売り上げやPVといった数字以外の評価軸の不足とそれに伴うタコツボ化が、業界の内外からたびたび指摘されている。
これを解決するために、自分の考えた投稿サイトでは招待制SNSの仕組みを参考にする。ユーザーが自分から積極的に招待をするわけではないので、承認制と言うべきか。
まず第一段階において、運営直下の特殊な会員として「小説の専門家」と呼び得る人材を何人か配置する。カクヨムの公式連載に近い扱いだろうか。
中心となるのはやはり各種ジャンルのプロ作家だろうが、この階層のメンバーは自分自身が作品を投稿する必要は別に無いため実作者以外の、批評家や編集者や学者やVTuberでも構わない。とにかく、多くの人々に「この人物に(あるジャンルの)作品を認められることには価値がある」と思わせる人選であることと、得意・専門分野をなるべく広くカバーすることが肝心だ。
次に、一般のサイト利用(希望)者はこれら特別会員のアカウントに向けて、ある程度の分量を書き上げた自作を投稿する。自作のジャンルとの相性や、特別会員の本業での実績を考慮して、それぞれ信頼できる送り先を選ぶことになるだろう。
特別会員たちは投稿された作品の中から、このサイトで読者に提供するだけの価値があると判断したもののみに、推薦コメントを添えて公開の承認を与える。これにより投稿者は正式に作者登録され、初めて作品の一般公開が可能となるのだ。
そしてもちろん、作者登録された一般ユーザーも他のユーザーに対して作品公開を承認する権限を持つ。あとは同様のプロセスを重ねて作者が徐々に増えていく、というのが基本的な構造となる。この仕組みなら、公開の時点である程度ふるいにかけられるため作品・作者の質が底上げされ、玉石混淆の度合いも改善されることだろう。
ただ、これだけでは多くの招待制SNSがそうであるように、一人でも審査のいい加減な利用者が混じればそこが蟻の一穴となって「質の悪い」ユーザーが際限なく流入し、結局はフィルターが形骸化するのではないか、という懸念はある。特に、WEBにおけるアマチュア小説執筆者のコミュニティは馴れ合いの傾向が強く、実質的に素通しで知り合いを気軽に呼び込んでしまう事態は簡単に想像できる。
これを抑止するために、作品・作者情報のページでは、その作者が誰によって承認され、誰を承認しているのかという情報を一般読者に向けて全面的に公開する。上に載せたような家系図様の表示で、上流・下流いずれも端まで系譜を視覚的に素早くたどれるようにするのが望ましい。
もし仮に非常に質の低い作者・作品がサイトに存在した場合、それを承認した作者が誰なのかが一目瞭然となるわけだ。責任の所在の明確化である。
読者としての眼力が作者としての力量に必ずしも直結するわけではないが、一般的には、小説の良し悪しが分からない人間に良い小説が書けるはずはないと思われがちなのは事実だ。一蓮托生で自作の信用を地に落としてまで、創作仲間の微温的な付き合いを優先する覚悟のある作者はさすがにそれほど多くないだろう(と思いたい)
もちろんこの系譜の明示は、作者を縛るためだけのものではない。読者が作品を選ぶ際に、この人が認めた作者(が認めた作者が認めた作者が認めた作者……)なら読んでみようか、という形でランキング以外の導線としても機能する。むしろそちらが本来の目的だ。
このようなシステムにおいては、特別会員を含めた各作者は自分の下流、特に直近の「子」世代の質に対して大きな責任とリスクを負うことになる。そのため、承認以後も強力な権限を有するべきだろう。
作者ユーザーは、自分の「子」作者をいつでも無条件に除名できることにする。
一度は承認したもののやはり公開に値しないと気付いた、あるいは承認時点では優れた作者だったが後に堕落した、というような場合に行使することを想定している。除名された作者の作品は公開停止され、別の作者に再び承認されるまで一切公開できなくなる。
除名された作者の「子」以下のユーザーについてはどう処理するべきだろう。巻き添えを食う形になるが、サイトの基本理念に従うならやはり一括で公開停止とするのが正しいか。信頼すべきではない作者を信頼した責任を取ってもらう、ということだ。
非常に厳しいルールではあるが、サイト全体の緊張感維持のためには、こうしたやり方も有効だと考える。
承認制投稿サイトの問題点
さて、ここまでメリットを中心に述べてきたが、当然ながらこのサイトには大きな問題がいくつもある。
ユーザー間の明確なヒエラルキー
たとえPVやランキングなどで実質的にはユーザー間に階級が存在するとしても、建前上は全てのユーザーは平等であるとするのが、現在の一般的なWEBサービスの姿勢だ。それに真っ向から反し、上下関係を図示さえするサイトの印象は、控えめに言っても最悪だろう。
ユーザー数の抑制
いわゆる読み専の読者も存在するものの、投稿サイトでは作者の多くが読者も兼ねている。突き詰めれば、WEB小説業界では読者の数こそがサイトの価値を最終的に決めるものであり、他サイトが人を集めることに必死になっている時に、わざわざ作者≒読者の数を抑制する仕組みを導入するのは、単なる自殺行為といえる。
作者が小説執筆以外の作業を要求される
公開希望者の審査だが、一人分では大したことがなくても、数が集まれば片付かないホームワークと化して忙殺されることは目に見えている。また、個人的な経験から言っても、自発的に読むものでない小説はそれだけで苦痛になり得る。
信頼されている人気作者ほど、二次的な作業にリソースを大きく割かれ小説執筆に専念できなくなる投稿サイトとはなんなのだろうか。
承認のメリットとリスクの不均衡
低レベルな作者をうっかり承認してしまった場合には、どこに目ぇ付けてんだと読者から袋叩きに合う可能性が高いが、逆に良い作者をきちんとすくい上げても、それで審査した側の株が急上昇するとは考えにくい。この場合最も賢い行動は、申請を完全無視もしくは片っ端から却下していく、ということになりかねない。
一定期間内の承認ノルマを課すという手もあるが、それはそれでクオリティコントロールという本来の目的からすると本末転倒である。
まとめ
というわけで、この「承認制小説投稿サイト」という案はまったく現実的ではなく、あくまで思考実験程度のものだ(何より下品だし自分自身はこんなサイト絶対に使いたくない)
しかし、もし仮になろう系に対するオルタナティブなWEB小説の流行の発生を、サイトの仕組みの面から促そうと本気で考えるのであれば、方向性は別にしてこのぐらい極端な方策も必要になるのではないかとは思う。
小説家になろうは、システムの点から見れば、小説投稿サイトとして良くも悪くも尖ったところがない。普通に投稿できて普通に読める、過不足のない普通のサイトだ。いわゆる「なろう系」は、そんななろうの中で、特定の企業や個人の思惑によらず、あくまで自然発生的に生まれてきたジャンル(?)ということになる。
もしもこれに対抗するつもりなら、なろうをベースに多少の「改善」を施したマイナーチェンジ版程度のサイト(新興の投稿サイトの多くは読者としての自分にはそう見える)では足りないのではないか。別に、サイト自体の分かりやすい欠陥がなろう系を生んだわけではないので。
スト2に対して餓狼伝説をぶつけても、スト2ブームが二次元格闘ゲームブームになるだけで、新たに大きな波を起こすことは難しい。いま本当に求められているのはバーチャファイター的な投稿サイト、もしくはいっそバーチャロン的サイトなのかもしれない。
(このたとえだと、二次元格闘ゲームブーム、いいじゃん!って結論になりそうだが……)
余談
上では「招待制SNSの仕組みを参考にする」と書いたが、実のところ承認制投稿サイトの仕組みは、どちらかといえば新人賞の方に近い。審査を経て認められた作者の作品のみが一般読者の目に触れることになるのだから。新人賞からデビューした作家(の一部)がいずれ新人賞の審査員となる、という連鎖の構造も同じだし、圧縮されたミニチュアの新人賞と言ってもいいだろう。
プロ作家や批評家といった審査員の手で賞を与えるのは、言うまでもなく権威付けの一種だ。新人賞に限らず、SFやミステリや歴史・時代小説や本格ファンタジーや純文学といった従来の小説はいずれも、どこの馬の骨とも知れない素人にはそうそう書けるものではない(だからこそ価値がある)、という権威化によって市場が成立してきた側面が大なり小なりある。
そのため、大半の作者がプロ作家や出版社や賞といった権威に価値を裏付けられていない「どこの馬の骨とも知れない素人」となるWEB小説の世界で、SFやミステリや歴史・時代小説や本格ファンタジーや純文学が読まれにくいのも当然と言える。オレのSF/ミステリ/歴史・時代小説/本格ファンタジー/純文学が読まれないと嘆く文字書きの人々自身にしたところで、自分以外のアマチュア作者が書いたSF/ミステリ/歴史・時代小説/本格ファンタジー/純文学をネットで積極的に読みたいとはあまり思わないのではないか(文字書き仲間同士の内輪褒めはノーカン)
それに対しライトノベルというカテゴリは、「ライト」という名前からして明らかなように、そのような権威化が比較的薄かった。ジャンルの専門家と呼べるような人材もあまりいない。新人賞が存在するのだから権威付けが皆無とはいえないが、それでも他の小説分野に比べればゼロに等しい。
結果的にではあれラノベは誕生からずっと、世間からの軽侮と引き換えに「どこの馬の骨とも知れない素人」でも(面白いものが)書けそう、という気安い印象を維持し続けてきたのだ。それが実態に即しているかはともかく。

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なろう系を含むライトノベル的な作品がWEB小説の中心となったのは、結局のところこの違いによるものだ。読者のレベルの低さの問題などではない。
はっきり言ってしまえば、読者の目からは、「どこの馬の骨とも知れない素人」の書いたSF/ミステリ/歴史・時代小説/本格ファンタジー/純文学よりは、「どこの馬の骨とも知れない素人」の書いたラノベの方がはるかにマシに見える、ということになる(個人的には「どこの馬の骨とも知れない素人が書いた純文学」がいちばんおっかない)
SF/ミステリ/歴史・時代小説/本格ファンタジー/純文学を読みたい人間も、そして書ける人間も、その大半は今の投稿サイトには用がない。そこには権威が、「小説」*1の価値を保証してくれる根拠が欠けているから。
これを前提とすると、非ラノベ的な小説がネットで広く読まれるようになるためには、権威によるお墨付きの仕組みを部分的にネットに持ち込むしかないのではないか。そんな思いつきが、承認制投稿サイトというものを考えるきっかけとなった。
しかし既に見たように、権威付けを部分的に持ち込むということは、本来のWEB小説の美点を部分的に殺すということにほかならない。非ラノベ的小説が真の意味でWEB小説に根付くには、各ジャンル、ひいては「小説」自体が権威から本格的に脱却する努力が必要となるのだが、まあ、だいぶ難しいだろう。