い(い)きる。

生きることは言い切ること。

荊木歓喜と杉下右京どっちが好き?

見逃す探偵、荊木歓喜

最近、山田風太郎推理小説、『十三角関係』と『帰去来殺人事件』を続けて読んだ。

十三角関係 (名探偵・荊木歓喜)

十三角関係 (名探偵・荊木歓喜)

帰去来殺人事件

帰去来殺人事件

この二冊は、山田風太郎唯一のシリーズ探偵*1「荊木歓喜」が登場する長編と短編集だ。

荊木歓喜は、遊郭で娼婦たちの堕胎を無料で引き受ける医者。酒飲みでボロアパートに住み、警察にも裏社会の住人にもツテがある、というアウトロー気味な人物である。

歓喜は、作中では他の人間からこう語られている。

「(略)あの先生、ああみえて、この四、五年あたりで起こった人殺しで、警察のほうにゃかいもく見当もつかない事件の犯人をひっくくったそうで。(略)しかもさ、与太公たちに一目おかれてるってのあ、あの先生、悪いことした野郎つかまえても、その悪いことに相応の理由がありゃあ、そのまま知らあん顔してくれるからだってことですよ。……」

(『十三角関係』)

「その性格、愛すべく、信ずべく、尊敬すべく――特に今まで犯罪捜査に協力し、数々の功績をあげた素人名探偵といってもいい人物じゃ。ただし、御本人のつきとめた犯人をしばしば知らぬ顔で逃してしまう悪い癖があるから、それだけは注意せよと、これは淀橋警察署長、じきじきの太鼓判を押しての返事ですよ――」

(「帰去来殺人事件」)

また、歓喜自身はこんなことも言っている。

「(略)なァ愛すべき丹平よ、わ、若えおめえに歓喜先生が、金輪際危ッ気のねえ処世訓をさずけてやる。いいか、まちがっても他人の悪を、他人の悪を見つめちゃなんねえぜ、あっはっはっ」

(「チンプン館の殺人」)

「他人さまの素性あらい、他人さまの悪の詮索――だいッ嫌えなオッチョコチョイを、まんまとおれにやらせたってことよ(略)」

(同上)

探偵としては、事件への関与もどちらかといえば消極的であり、犯人の扱いも必ずしも告発一辺倒ではない柔軟性を持つ、ということになる。モジャモジャ頭で太った傷顔という外見を含めて、色んな意味で人間味のある探偵として設定された人物像なのだろう。


見逃さない探偵、杉下右京

一方、荊木歓喜シリーズを読みながら、それとは正反対の存在として思い浮かべた一人のキャラクターがあった。それは推理小説の探偵ではなく、テレビドラマ「相棒」で水谷豊演じる杉下右京だ。

相棒 season 1 DVD-BOX

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「相棒」は、警視庁の実質的な左遷部署、特命係に在籍する杉下右京とその相棒の二人が事件を捜査する刑事ドラマ。相棒の方は何度か代替わりしているが、杉下右京はシリーズ開始時から一貫して登場し続けており、事件解決の鍵も基本的に右京の推理であるため、名実ともに主人公と言っていい。

「相棒」というドラマ自体はもちろん刑事もの、警察ものではある。だが、どちらかといえば足より頭を重視した捜査のスタイル、博学で多趣味、理屈っぽくやや浮世離れした性格という杉下右京のキャラクター性は、むしろ「名探偵」に近い。

決して融通がきかないわけではない杉下右京だが、こと犯罪に関してはそれを見逃すこはほぼない*2。どれだけ同情できる事情を抱えた犯人であっても、それはそれとして逮捕はする。気になる出来事に自分から首を突っ込んで、事件の第一発見者になることさえある。

そうする権利と義務のある警察官だから当たり前のことのようでもあるが、実際にはこうした右京の姿勢は、相棒を含む他の警察官たちと衝突することがしばしばあった。大きな犯罪を追うための比較的小さな違法捜査などをめぐる問題では特に*3。そうなると、犯罪に対するああいう厳格さは、「一人の警察官」という自己規定をある種の言い訳にした、杉下右京本人の資質でしかないのでは、とすら思えてくる。

(たとえば、何らかの理由で警察を退職した杉下右京が、たまたま偶然ある犯罪に遭遇し独自の捜査によって真相に至ったところ、犯人にはやむにやまれぬ事情があったことが判明したとして。それで自分は民間人だからと犯人を告発せず見逃すなどという状況が想像できるだろうか?)


荊木歓喜杉下右京

さて、犯人を見逃すこともある荊木歓喜と、犯人を絶対に見逃さない杉下右京というこの二人の名探偵。皆さんはどちらが好感が持てるだろうか。

わたしは断然、杉下右京だ。というより、荊木歓喜の方は怖くてしかたない。

ミステリにおける事件の真相というのは、基本的には選ばれた探偵役以外には決して決してたどり着けないものになっている*4。つまり名探偵には実質的に、犯人を裁く権利が与えられているわけだ。更に大げさに、作中の現実そのものを最終的に決定する装置のように言われることすらある。

そういう、まさに神のごとき存在が、「天も許さねえ極悪人」(と自分が判断した犯人)は告発し、「悪いことに相応の理由が」ある(と自分が判断した)犯人は見逃す、という柔軟で融通のきく方針で行動していた場合、どうだろうか。たとえどれほど人道主義的な人物であったとしても、「相応の理由」の有無がたった一人の人間の裁量で決められてしまう世界というのは、正直ぞっとしない。

もちろん、そういうキャラクターをそもそも恐ろしい部分もある存在、一種のダークヒーローとして描いているのなら何の問題ない。実のところ荊木歓喜自体もそれに当てはまる側だろう。

ただ、あくまで自分の個人的な感触だけど、一部のミステリには荊木歓喜型名探偵*5を、単純に良い意味で人間味のある人物として扱っている場合があるようにも見える。そして、その傾向はだんだん広がっているような気もする。

それを見ていると、日教組の戦後民主教育を受けた身としては、私刑は良くないょ……と言わずもがなのつまらないことを言いたくなる時もあるのだった。

がきデカ 第1巻

がきデカ 第1巻

*1:一応探偵役のいる連作短編ミステリは他にもあるが、それらはカウントされないらしい。

*2:全シリーズ見ているわけではないので、もしも右京さんが犯人を見逃してる話があったらごめんなさい。

*3:右京さん自身が違法スレスレ……ギリギリアウトな捜査をしているように見えることもあるので、そこの整合性はちょっと気になる。

*4:もちろん世の中には色んなミステリがあるのでこれに当てはまらない、名探偵以外の人間も自力で真相を見出すミステリも、特権的な探偵役はおらず複数人が協力して推理するミステリも存在する。たぶん。

*5:これはもちろん、たまたま自分が最近荊木歓喜を読んだからこういう言い方をしているだけであって、こういうタイプの名探偵を代表するのにもっと相応しいキャラクターは他にいるだろうと思う。杉下右京の方も同様。