い(い)きる。

生きることは言い切ること。

小川一水氏の語る「現代では当然のフェミニズム的価値観」の問題点(おまけで楠本まき氏。ラノベも少々)

天冥の標? メニー・メニー・シープ(上)

天冥の標? メニー・メニー・シープ(上)

議論の主な流れはまとめを読んでもらうとして、

自分はこのツイートの、「未熟な新人」という表現が気になった。

また、小川一水氏の意見に同調したこんなブログも現れた。


軽くいくらか読んだ限りでは、わりと【SFとフェミニズム】というのは欧米ではよくテーマになる話である。

SFとフェミニズムというのは割と長い歴史がある。と思う。例えば『ゲド戦記』で知られるアーシュラ・K・ル=グウィン(いつも思うが、なんと詩的な名前なのだろう)も、同作でフェミニズムを展開していた。

1つ言えるのは、確実にフェミニズムを対象にしたSFが存在するということだ。

冒頭の話に戻るけれども、「フェミニズムに無自覚な作品」というのは、裏を返せばこの手の作品を読んでいないということに繋がる。別に面白い作品であれば構わないかもしれないが、問題は、その作品はたまたまネタかぶりしてなかったかもしれないが、今後過去の作品とネタが被る可能性がある、という話だ。

個人的には、フェミニズム的なテーマが中心ならともかくそうではない作品を書く場合には、過去のフェミニズムSFを何十冊何百冊読んでいようが、作中のフェミニズム度(?)には良くも悪くもそこまで直接的に影響はしない気がするのだけど。フェミニズムSFという小ジャンルの文脈を踏まえているか否かと、フェミニズム的な価値観を内面化しているかは別の話なので。ともあれ、とーじまめ id:oO_TOJIMAME_Oo 氏は、「フェミニズムに無自覚な作品」を新人賞応募者が出してくるのはフェミニズムSFをろくに読んでいない証拠であると考えたらしい。

大元の小川一水氏ならびに同調ブログは、作品における「現代では当然のフェミニズム的価値観」からの逸脱を、作者の未熟さ・勉強不足、つまり能力の低さの問題として扱っている点で共通している。それは果たしてどこまで正しい態度なのだろうか。

別に、フェミニズムが正しいとは限らない、相対主義で善も悪もなくて全ては決断でサヴァイブなんだ(でもボクをイジメたキンコン梶原は絶対に悪!(>_<))みたいな話がしたいわけではなくて。

話を分かりやすくするため仮に、フェミニズムが思想としては無条件に「良い」ものだとしよう。だとしても、それへの適応度をあくまで本人の能力の問題としてしまうと、キャリアの長さでも実績でも「未熟」とは言い難いがフェミニズム的に見れば明らかに邪悪*1な人間(この場合は作家)が現れた時に扱いに困るんじゃないの?かえって、適切な批判が難しくならない?ということだ。そして、そういう人間はそれほど珍しいわけでもない。

フェミニズムとは別の話になるけど、わたしはいわゆるネトウヨを単純に“““悪”””だと思っている。だから、ネトウヨ的な価値観にどっぷり染まっていて作品の方にもそれがかなり露骨に表れている(ラノベ)作家には抑えがたい苛立ちを覚えるのだが、それはそれとして、そういう人間でも作家としては優れている場合はたしかにある。悔しいが、そこは事実として認めないといけないだろう。

だいいち、「“現代では当然の”フェミニズム的価値観」というなら、現代を自分たちの時代として生きている若者が比較的多いはずの「未熟な新人」よりも、むしろベテラン作家の方がそこから逸脱してる可能性は高そうじゃない?

(ある程度の地位を得た作家であればフェミニズム的な価値観から多少はみ出しても大目に見てもらえるが、これからデビューする新人ではそうはいかないから気をつけなさいよ、という実際的な忠告をしているのであれば分かる。分かるが、それはSF作家の言葉としてはあまりにも寂しくはないだろうか……)

あるいは、新人賞応募作に「現代では当然のフェミニズム的価値観」から外れたものがそんなに目立つなら、それは実のところ、そもそもまだ「現代では当然」のものではないのでは?という疑問もある。それともSFの新人賞応募者は現代の一般的な基準から見て反フェミニズムに偏っているのだろうか?

新人賞の審査を作家が行う場合、フェミニズムに限らずそこに何らかの偏りが発生するのは仕方ないし、むしろ望ましいと考えられているのではないかとは思う。ただ、「現代では当然のフェミニズム的価値観」を個人的な審査の基準に加えるにしても、「思想」と「能力」は基本的には別問題であるとしておく方が、やはり無難なんじゃないだろうか。好ましい/不適切な思想は、あくまで思想として評価すればいい。

まあ、

小川一水氏がこう言っているように、SFというジャンルではフェミニズムとの親和性を作家としての「能力」にカウントすることは特に不自然ではない、というのが業界の一般的な認識なのかもしれない。あくまで「SF」における「フェミニズム」というこの二つの組み合わせだからこそ問題になるのであって作家や思想全体に一般化できるような性質の話ではない、と言われてしまえば、SFについてもフェミニズムについても外野である自分は引っ込んでいるしかないのだが……

そういえば、少し前にフェミニズムに近い話題で注目された、漫画家・楠本まき氏のこの文章にも、こんな箇所があった。

赤白つるばみ 上 (愛蔵版コミックス)

赤白つるばみ 上 (愛蔵版コミックス)


大体のジェンダーステレオタイプマニュファクチャラー(私の造語です)は、自身のジェンダーバイアスに気づかずに、特になんの疑問も持たず描いているのだと思います。それはまことに残念なことだけど、作家として公に発表している人だからといって、環境や経験値には個人差があるだろうから、意識が及ばなかったとしてもある程度仕方がない。作家に責任はあるが、間違うことだってある。今まで気づかずうっかり自己の偏見をそのまま垂れ流してきてしまっていたとして、たとえば担当さんに言われて初めて気づいたら、そこで悔い改めるなり恥じ入るなり、身悶えして変わればいいじゃない。誰もそれによって傷つかないし、困らない。祝福だってするだろう。

(^_^;)

ジェンダーステレオタイプ」に囚われた作品を描いている漫画家は、それが本当に描きたいわけではなく未熟なだけだから啓蒙してあげなくては、ということらしい。

小川一水氏の方は、新人賞応募作の話なのでまだ分からなくもないけど、こっちは同じプロ作家たちに対してのお言葉だからね。ここまでゴーマンかまして大丈夫なのかな。色んな意味で。

それからおまけで、これは今までの流れとは特に関係ない話だけど、上で紹介した同調ブログの後半。


じゃあ「フェミニズムからは外れているが面白いSF」はどこにいったらいいのか。20世紀なら話はかんたんだった。あるいは、2000年代ならまだ受け皿があった。ライトノベルである。

ところがいつからか、ライトノベルはギャルゲー化していった。ギャルゲーぽくないライトノベルはだんだんに減っていっている。多分探せばあるのだろうけれど、近年アニメ化されたライトノベルでギャルゲー要素を含まない作品はほぼないのではなかろうか。

すると、『SFでフェミニズム要素はないけど面白い作品』はライトノベルにも居場所がなくなっている。おそらく投稿者のほうも、『ラノベ向きじゃないよなあ』くらいは感がえた上で投稿していると思われる。

へー。

恐らくは、美少女ヒロインがいる・表紙に描かれている=「ギャルゲー要素」ぐらいの緩い判定基準なんだろうけど。

へー(「フェミニズムからは外れているが面白いSF」「SFでフェミニズム要素はないけど面白い作品」といった表現から、現代SFは基本的にフェミニズムSFであらねばならないという思想がにじみ出ているのも怖い)

まあ個人ブログなんだから、自分が責任取れる範囲で好きなことを好きなように書けばいいとは思う。でも、

※個人的感想なので、ノークレームノーリターンでお願いします。

これはさすがに虫が良すぎるんじゃないですかね、とーじまめ id:oO_TOJIMAME_Oo さん?



※個人的にバンプ好きなので、ノーヒットノーラン(誤用)でお願いします。

FLAME VEIN +1

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*1:敢えて強い言葉を使った。