い(い)きる。

生きることは言い切ること。

「ジャンル名の不遡及」問題

一般的にはライトノベル作家として認識されることの多い作家、神野オキナ氏が昨日、「ライトノベル」という語についてこんな連続ツイートを投稿しました。

リプライでも指摘されているように、ニフティでの「ライトノベル命名は「90年代後半」ではなく90年ですし、蔑称のニュアンスを含むかどうかという話についても、少なくとも命名者の神北恵太氏はそのような意図はなかったと明言しています。


そういった事実認識のレベルの誤りもありますが、それはひとまず置いといて。

神野オキナ氏の主張の要点は、「『ライトノベル』という用語が存在しなかった時期の作品をライトノベルに含めるべきではない」というものです。

これは実のところさほど珍しい意見ではなく、これまで主に「昔のラノベ」が話題になった時などに、似たような話が何度となく繰り返されてきました。

今回の神野オキナ氏のツイートにもやはり、我が意を得たりと頷いた人もいるようです。

実例はちょっと思いつきませんが、似たような議論は恐らくライトノベルに限らず様々な分野で発生しているのでしょう。

「『○○』というジャンル名が定まる以前の作品を○○に含めるのは不適切」という規範。

わたしはこれを、「ジャンル名の不遡及」と名付けることにしました。


名付けたからどうなのだ、というと、どうもしません。とりあえず名前があった方が便利だろうなと思っただけです。

そのような主張が存在し、それを支持する人の数は決して少なくない、という認識が共有されてほしい。そしてその上で、果たしてそこに一般原則たり得る妥当性があるかどうか、活発に議論されてほしい。それがわたしの希望です。

わたし自身はこの問題について、少なくとも「ライトノベル」に関しては既に一生分語った気がしてるので、あとは皆さんにお任せしたいです。

ファッとして桃源郷

ファッとして桃源郷




(余談)

ライトノベルという言葉は(略)「これは小説ではない」と「普通の小説」と「区別」するために作った言葉」というのが仮に正しいとして、神野オキナ氏的には、「ジュブナイル」や「ヤングアダルト」(いずれも主に対象年齢によって規定されるジャンル)はあくまで「普通の小説」の内、という認識なんでしょうか。