い(い)きる。

生きることは言い切ること。

「増加する小説の「マンガ表紙」」問題から見る、とある作家の特異性

「マンガ表紙」批判と、そこから連想した作家

直木賞作家・黒川博行氏による以下の文章が、ネットで議論を呼んでいる。


そうして昨日、よめはんと書店に行って文芸書の平台を眺めたとき、あらためて気づいた。「増えてる。マンガが増えてる」──。単行本の表紙の半分がマンガなのだ。

マンガとかアニメというのは(一部に例外はあるが、)基本にデッサンがなく、いわば様式化と定型化の世界だから、人体のプロポーションはむちゃくちゃだし、顔は大きな眼と小さい鼻、尖(とが)った細いあごで描かれている。

なので、編集者が単行本の表紙にイラストレーターを起用したとき、そのイラストレーターがマンガやアニメ出身だと、どうあがいても顔や手足がマンガになってしまう(人物デッサンは、あらゆるデッサンのなかでもっともむずかしい)。

マンガがなぜいけないのか──。類型には画家のオリジナリティーとアートが感じられないからだろう。学園もののライトノベルなどにマンガはなんの違和感もないし、むしろそのほうがいいかもしれないが、歴史小説や時代小説にマンガふうイラストというのはいかがなものか。

いかがなものなんでしょうね。

こうした、一般向け小説に「マンガふうイラスト」の表紙や挿絵を付けることに対する反発の声は以前から根強く存在しており、さほど珍しいものでもない。


Wikipediaによると、黒川博行氏は京都市立芸術大学美術学部彫刻科出身の元美術教師で、配偶者(よめはん)は日本画家なのだそうだ。

黒川博行 - Wikipedia

そういった美術と関わりの深い経歴・家庭環境の方だけに、デッサンの狂ったオリジナリティーも芸術性も皆無な「マンガ表紙」の氾濫には、人一倍危機感を覚えてしまうのかもしれない。同じく作家の津原泰水氏をはじめ、賛同者も大勢いるようだ。



それはさておき、(一般向け)小説の「マンガ表紙」に関する議論を眺めていて、直接の関係は全くないが、自分はとある作家のことを思い出した。

昨年アニメ化したライトノベルブギーポップ」シリーズで知られる、上遠野浩平だ(以後敬称略)

上遠野はブギーポップをはじめ主にライトノベルの書き手として認識されているが、その作家歴の早い段階で、一般向け寄りのレーベルでの活動も始めている。これ自体は、知ってる人は普通に知っている情報だろう。

しかし実は、上遠野作品は非ラノベも含めて単著の全てが「マンガ表紙」なのだ

自分は上遠野作品のそれほど熱心なファンではないので、最近までこの事実に気づいていなかったが、たまたま思い至った時、え?ほんとに?と少なからず意外な気持ちになった。いま初めて知った人たちも恐らく、え?ほんとに?と驚いているはずだ(驚いてるよね?)

本当である証拠に、非ラノベの上遠野作品を一つ一つ確認していこう。

ラノベレーベルの上遠野浩平作品一覧

「戦地調停士」(事件)シリーズ(講談社ノベルス講談社タイガ

殺竜事件 (講談社ノベルス)

殺竜事件 (講談社ノベルス)

ファンタジー世界を舞台にしたミステリシリーズ。超国家的な巨大組織に属し弁舌で争いを解決する「戦地調停士」である仮面の男・EDが主な探偵役を務める。

1作目のタイトルを見ても分かるように、竜を殺した者とその方法は何か?など、ファンタジーならではの謎が扱われている。

初代のイラストレーターは、ゲーム「女神転生」シリーズのキャラクターデザインで有名な金子一馬が担当しており、1作目刊行時には話題を呼んだ。

5作目はやまさきもへじ、6作目と短編集は獅子猿、そして講談社タイガでの文庫版では鈴木康士がイラスト担当だが、いずれも「マンガ表紙」の範疇と言っていいだろう。

「ソウルドロップ」シリーズ(祥伝社ノン・ノベル)

「生命と同等の価値のある物を盗む」謎の怪盗・ペイパーカットを、保険会社の調査員である伊佐俊一(かつてペイパーカットに遭遇した元警察官)と千条雅人(脳にチップを埋め込まれた「ロボット探偵」)の二人が追う。

成人男性主人公によるバディもの。各巻の事件関係者視点で進行する部分も多いが。

イラストは、漫画家の斎藤岬。全巻共通して、ペイパーカットのバストアップが表紙になっている。

『酸素は鏡に映らない』(講談社ミステリーランド講談社ノベルス

酸素は鏡に映らない (ミステリーランド)

酸素は鏡に映らない (ミステリーランド)

「オキシジェン」と名乗る謎の男に出会った小学生男子が、姉と元特撮俳優の青年と共に、幻の「エンペロイド金貨」をめぐる事件に巻き込まれる。

初出の「ミステリーランド」は、主にミステリ系の一般文芸作家が子供向け作品を書くというコンセプトの児童書レーベル。他の作品の装丁はだいたいこんな感じ。

くらのかみ (ミステリーランド)

くらのかみ (ミステリーランド)

神様ゲーム (ミステリーランド)

神様ゲーム (ミステリーランド)

レーベル内で他に「マンガ表紙」が皆無というわけではないが、ラノベおよびライト文芸の表紙でお馴染みのイラストレータtoi8の存在は、やはりそれなりに目立っていた。

『私と悪魔の100の問答』(講談社単行本・講談社ノベルス

私と悪魔の100の問答 Questions & Answers of Me & Devil in 100 (100周年書き下ろし)

私と悪魔の100の問答 Questions & Answers of Me & Devil in 100 (100周年書き下ろし)

  • 作者:上遠野 浩平
  • 発売日: 2010/10/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
女子高生が、親の事業の失敗を収拾してもらう条件として、腹話術?で話す謎の男からの質問に答えることになる。

講談社100周年100冊書き下ろしの中の一作。目次にも「青空と聞いて連想することは」「綽名はどこまで譲歩すべきか」など100の問いが並べられている。

単行本の方は比較的デザイン色が強い表紙になっているが、なんといっても漫画版『フリクリ』『Qコちゃん THE地球侵略少女』に、化物語エンディングアニメのウエダハジメのイラストなので、やはりこれも「マンガ表紙」だろう。

『戦車のような彼女たち』(講談社

戦車のような彼女たち Like Toy Soldiers

戦車のような彼女たち Like Toy Soldiers

  • 作者:上遠野 浩平
  • 発売日: 2012/07/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
世界を裏から動かす巨大な秘密組織「統和機構」に所属する「合成人間」の女性たち(男性少々)の戦いと恋。

雑誌「ファウスト」「メフィスト」に掲載された短編をまとめて長編としたもの。

かなりデザイン色の強い表紙だが、なんといっても漫画版『フリ(略)のウエダハジメが雑誌掲載時に引き続きイラストを担当しているので、紛れもなく「マンガ表紙」。

パンゲアの零兆遊戯』(祥伝社

パンゲアの零兆遊戯

パンゲアの零兆遊戯

未来が視える、と言われる7人のプレイヤーがジェンガに似た競技「パンゲア・ゲーム」に挑む。

表紙イラストはミキワカコ。

『製造人間は頭が固い』(ハヤカワ文庫JA

統和機構の中で唯一、合成人間を生み出すことができる男と、彼に拾われた少年。彼らが様々な「人間」と出会う短編連作。

SFマガジンの連載をまとめたもの。

表紙イラストはサマミヤアカザ。

『恥知らずのパープルヘイズ -ジョジョの奇妙な冒険より-』(集英社単行本・ジャンプジェイブックス集英社文庫

ジョジョ



以上。

ご覧のように、全ての非ラノベレーベル作品が「マンガ表紙」であることが確認できた。

(なお、「ナイトウォッチ」シリーズや「しずるさん」シリーズの新装版を刊行している星海社文庫も、レーベル自身の公式見解では「ライトノベル」ではないということになっているが、余計な混乱を招く可能性があるためここでは省略させてもらった)

他作家との比較

「マンガ絵ばかりだということは分かったけど、そもそもラノベ出身の作家が一般でもラノベ的なパッケージで本を出すのって、そんなにおかしなことなの?」

と疑問に思う向きもあるかもしれない。

たしかに、ラノベ出身であれば一般仕事でも表紙の割合が多少マンガ絵に偏ること自体はそれほどおかしくはない。しかし、一冊残らず「マンガ表紙のみ」というのはどうだろう。それも、よくあることと言えるのか。

このあたりの感覚は、ライト文芸という中間領域が一つの商品カテゴリーとして既に確立された現在では、もはやピンとこないかもしれない。では、上遠野と比較的近い時期の他の「越境」作家*1たちや、その周辺の状況をいくつか見てみよう。

越境作家の代表といえばまずはこの人、直木賞作家の桜庭一樹。越境後作品の多くは当然のように非マンガ表紙だし、ラノベ時代の作品も一般向けのおとなしい装丁で出し直している。

GOSICK ──ゴシック── (角川文庫)

GOSICK ──ゴシック── (角川文庫)

赤×ピンク (角川文庫)

赤×ピンク (角川文庫)

推定少女 (角川文庫)

推定少女 (角川文庫)

冲方丁ラノベシュピーゲルシリーズを数年前まで書いていたし、ハヤカワのマルドゥックシリーズ(寺田克也はギリギリ「マンガ絵」か……?)も継続中だが、世間一般では吉川英治文学新人賞本屋大賞の『天地明察』で時代・歴史小説作家としての印象が強そう。

天地明察

天地明察

  • 作者:冲方 丁
  • 発売日: 2009/12/01
  • メディア: 単行本
はなとゆめ (単行本)

はなとゆめ (単行本)

  • 作者:冲方 丁
  • 発売日: 2013/11/07
  • メディア: 単行本

米澤穂信にいたっては、そもそもラノベ出身であったことすら読者の大半には知られていないという有り様。

氷菓 (角川文庫)

氷菓 (角川文庫)

折れた竜骨 (ミステリ・フロンティア)

折れた竜骨 (ミステリ・フロンティア)

もともと一般レーベル(講談社ノベルス)でのデビューなので「越境」には当たらないが、上遠野に強い影響を受けた作家であり、ラノベ扱いされたりされなかったりする西尾維新にも、非マンガ表紙の著書が複数存在している。

不気味で素朴な囲われた世界

不気味で素朴な囲われた世界

難民探偵 (100周年書き下ろし)

難民探偵 (100周年書き下ろし)

悲鳴伝 (講談社ノベルス)

悲鳴伝 (講談社ノベルス)

また、上でも何作か挙げているが、旧作ラノベの新装版といえば、非オタクでも手に取りやすい穏当な装丁で売り出すのが定石の一つとなっている。

【豪華版】ロードス島戦記    灰色の魔女 (単行本)

【豪華版】ロードス島戦記 灰色の魔女 (単行本)

  • 作者:水野 良
  • 発売日: 2013/10/29
  • メディア: 単行本
涼宮ハルヒの憂鬱 (角川文庫)

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川文庫)

  • 作者:谷川 流
  • 発売日: 2019/01/24
  • メディア: 文庫

一方、昨年のアニメ放送に合わせて発売されたブギーポップの新装版単行本の場合、オリジナルの文庫版同様に緒方剛志が表紙と挿絵を担当し、それぞれ新規イラストを描き下ろしていた。

ブギーポップは笑わない

ブギーポップは笑わない

ラノベ出身だとしても、一般に越境しながらマンガ表紙のみというのがいかに特殊なことなのか、分かってもらえただろう。さすがに同様の作家が他にはゼロということもないだろうが、珍しいケースであるのは間違いない。


理由

一般レーベルでの著書がマンガ表紙のみ。なぜそんな奇妙な状況になったのか。思いつく理由は二つほどある。

一つ目は、単純に内容の問題だ。

上遠野作品は、ごく一部の例外(書籍になっているものではジョジョのスピンオフである『パープルヘイズ』)を除いて、全ての作品が作中世界を共有しており、同じ登場人物が複数の作品に登場することも珍しくない。異世界ファンタジーの事件シリーズでさえ、現実風世界が舞台の他作品群と特殊な形で繋がっている。

つまり、全ての上遠野作品は表面的なジャンルを問わずその背景に、ブギーポップシリーズ同様、「統和機構(秘密組織)」やら「合成人間」やら「MPLS(超能力者)」やらが存在していることになるわけだ。

ラノベレーベル作品においては、特に『戦車』や『製造人間』があらすじ等の段階でそのような設定に基づいたストーリーであることを露骨に明かしているが、実際のところ他もそれほど大きな差はない。ちょっと油断するとすぐ能力バトルが始まってしまうような作品ばかりだ(言い過ぎ?)

そのような小説は一般的に、いい大人が読むものとは見なされにくい。

なにも、非現実的な要素の存在が即、大人向け小説として不適格であることを意味するわけではない。たとえば、ミステリを中心に活動している伊坂幸太郎などもその作品の中に、死神や超能力といった非現実の存在をしばしば取り入れている*2

死神の精度 (文春文庫)

死神の精度 (文春文庫)

魔王 (講談社文庫)

魔王 (講談社文庫)

しかし、それらを物語中に置いた上で、小説としてあくまで「いい大人が読むもの」に見えるような、スマートな書き方がされているため、伊坂作品が「ラノベ的」といった評価を受けることはほとんどない。表紙も、確認した限りでは全てが非マンガ絵だ。

これが上遠野作品の場合は、一般でもラノベ同様に「う、ううう……」なので、まあ、その……

一例として、はてブでもこんな声があった。

アニメ化直前ブギーポップシリーズ現状報告(ある程度の既読者向け)

ミステリーランドで普通にいつものブギーポップし始めたの、割と真面目に感性の違いを感じて、追うのを辞めてしまった。

2018/12/26 11:23

そういった点も含めて、上遠野作品はマンガ表紙が似合う、というより非マンガ表紙があまり似合わない作風なので、素直にマンガ表紙が採用され続けているのだろう。この説明が最も分かりやすい。

二つ目の理由としては、デビュー時の印象が考えられる。

上遠野のデビュー作『ブギーポップは笑わない』は、当時のラノベ業界の内外に大きなインパクトを与えた。それは、ザッピング的な構成などの小説としての作品内容自体もさることながら、イラストの緒方剛志とデザイナーの鎌部善彦によるあの表紙の力も当然大きい。

あの『笑わない』表紙によって、マンガ絵の「強い」イラストと「強い」デザインの組み合わせによる小説表紙の可能性が、出版関係者に深く印象づけられたのではないだろうか。そして、自分もああいう本が作りたいと思ったのでは。

殺竜事件』での金子一馬起用などはモロにそのパターンだろうし、ラノベレーベルでの話だが、ナイトウォッチシリーズのイラストに本業がアニメーターである中澤一登を持ってきたのにも、同様の志向を感じる。

現在では、「強い」マンガ絵と「強い」デザインの組み合わせはさほど珍しくなくなり、相対的に価値が目減りした。それでもデビュー作の強烈な印象が尾を引いて、上遠野作品は一般レーベルでも従来通りの表紙で出続ける結果となっている、というのはどうか。これはまあ、一つ目に比べれば我ながらちょっと弱いが。

まとめ(ない)

ライトノベルというジャンルでは逆説的に、そして半ば伝統的に「ラノベらしからぬ」ことが一つの価値を持つ。

ラノベらしからぬ」アピールとして、ラノベレーベル内で敢えて非マンガ絵の表紙が採用されたことも何度かあった。

僕らはどこにも開かない (電撃文庫)

僕らはどこにも開かない (電撃文庫)

夏月の海に囁く呪文 (電撃文庫)

夏月の海に囁く呪文 (電撃文庫)

上遠野浩平もそのデビュー当時は「ラノベらしからぬ」ことが高評価の一つの理由だったことは間違いないし*3、だからこそ「越境」も可能だったはずだ。

そして、デビュー作シリーズのヒットによりラノベ内の流行を異世界ファンタジーから現代ものに変化させるきっかけ(のあくまで一つ)を作り、今となっては空虚なお祭り騒ぎだったかもと思わないでもない「ラノベブーム」でラノベが批評家たちから目を向けられ*4、上で挙げた錚々たるラノベ作家たちが「越境」を果たす遠因(のあくまで一つ)ともなった。

そんな上遠野自身が、振り返ってみれば、越境先でもラノベ時とそう変わらない内容の小説を書き、全作マンガ表紙=ラノベ的なパッケージで売っているという、この奇妙にねじれた状況。これをどう捉えるべきだろうか。

インタビュー等を読めば、上遠野本人にはライトノベルというジャンル・手法自体に思い入れも帰属意識もさほどないことが伺える。だから別に、ラノベ代表としてラノベ領域の拡大を自覚的に意図してこんなことになったわけではないのだろう。

(結果的に、一般文芸とラノベの中間としてのライト文芸の先駆けの一つとなった、とは言えるかもしれないが、少なくとも上遠野の作風は現在のライト文芸の流行ともまた異なっている)

上遠野自身が「ラノベらしからぬ」のハードルを引き上げたことにより、上遠野の作品自体が「ラノベらしい」側に含まれるようになってしまった、ということなのだろうか。上遠野浩平という作家は、ラノベと一般文芸にとっての「触媒」だったのか。

答えは分からないが、ただ、おもしろいなあ、とは思う。これってなんかおもしれえなあという、それだけの気持ちでこの文章を書いた。

あとのちゃんとした文化論的?な意味付けは、批評家や研究者といった専門家の方々にお願いしたい(丸投げ)

目の前の状況をおもしろがるだけの無責任な読者としては、もしもこれから「非マンガ表紙」の上遠野作品が現れるとしたら、それは一体どういう内容になるのかが気になっている。予定だけ発表されている新作は色々あるみたいだけど、今のところどれもあまり非マンガ表紙っぽくはないね……


1.ブギーポップストレイン
2.闘神と蠍のフーガ
3.叛乱と霰のワルツ
4.はりねずみチクタのぼうけん
5.クレイジーDの悪霊的失恋(仮)
6.獅子が嫉妬を征服するまで
7.ギズモ・ギスト散華
8.Q星から来た少年
9.アビス・アガルタへの巡礼
10.奇帝国事件
11.彼女が俺には才能があるというので(仮)

*1:当時はライトノベル出身の作家が一般文芸でも仕事を始めると、「越境」という大げさな言い方をされた。

*2:余談だが、伊坂作品も作品間で登場人物や舞台を共有する手法を用いている。

*3:念のため言っておくが、当時は「ライトノベル」という言葉はまだ一般に認知されていなかったが、実質的なジャンルとしては既に存在した。

*4:個人的な感情としては「目を付けられ」と言いたいところだが。