い(い)きる。

生きることは言い切ること。

セカイ系が廃れた理由のセカイ系的解説

今は亡きセカイ系を想う

ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズの(あるいは「エヴァンゲリオン」全体の)完結編、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が公開されてから、ひと月ほどが経った。

シン・エヴァ自体の感想はさておき、ここしばらくの間ぼくは、エヴァからの連想で「セカイ系」のことをなんとなく考えていた。あの、かわいそうなセカイ系……

セカイ系とは何か。

一般的には、エヴァ(95年のTVシリーズに始まるいわゆる「旧エヴァ」)の影響を受けて出現した、「ポストエヴァンゲリオン症候群」「きみとぼく」「世界の危機」「具体的な中間項を挟むことなく」「自意識」といった胡乱なキーワードで括られる、ある種の物語作品群を指すとされる。ジャンル……というほど明確な枠があるわけではなく、代表作とされるいわゆる「三大セカイ系」についてさえ、これはセカイ系ではないという主張がなされることすらある、曖昧な区分である。

ほしのこえ

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  • 発売日: 2015/03/20
  • メディア: Prime Video

セカイ系は、ゼロ年代前半のごくわずかな期間に一瞬流行りかけた……と思う間もなく、すぐに廃れてしまった。現在では、検索エンジンに「セカイ系」と入力するだけで「セカイ系 気持ち悪い」「セカイ系 嫌い」といった候補がサジェストされる始末だ。

この、異常なほど急速なセカイ系衰退の理由について、ぼくには一つの仮説がある。というより、「答え」を知っていると言った方がいいだろう。

それは、

セカイ系サヨクとウヨクに叩かれて終わった」

というものだ。

セカイ系の構造

セカイ系については色々な定義が存在するが一つの説明として、無力感と万能感の極端な振幅と言うことができる。

主なセカイ系の舞台となるのは、全体像や目的がひどく曖昧なくせに人々を従わせる強い力を持ち、投票や署名やデモやテロといった「まともな」手段ではほぼ改革不能に見える社会だ。多くの場合ごく普通の少年である主人公は、程度の差こそあれこの状況を所与のものとして受け入れている。これがセカイ系の無力感。

(余談だが、以下のまとめでエヴァ以前の先行例として挙げられているものの多くはいわゆる「悪の秘密結社」であり、この話題の例には不適切だろう。セカイ系における社会(と半ば一体化した組織やシステム)は、善悪が明確でないことが多い。



その一方で主人公の少年は、何らかの形で社会を一気に飛び越して「世界」を直にどうこうできるような「まともでない」手段を持つ(戦闘美)少女との個人的なつながり、要は恋愛関係を結ぶ。少女のキンタマ=心を握ることで、主人公は間接的に世界のキンタマ=命運を握る、という形になるわけだ。これがセカイ系の全能感。

(上で引用したツイートでは「少年も少女も大人たちも、誰一人として世界を自由に操るようなチカラは無い」という理由で『イリヤ』をセカイ系から除外しようとしているが、少女が戦わなければ世界が滅ぶという状況が存在するのであれば、やはり彼女は消極的にであれ世界のキンタマを握っていると言えるだろう)

この圧倒的な無力感と全能感の間を行ったり来たりする落差が、セカイ系の面白さの核にあるとぼくは思うのだけど、こうした基本構造の中にサヨクやウヨクに目を付けられる理由がひそんでいる。

サヨク・ウヨクがセカイ系を許せない理由

ここで言うサヨク/ウヨクとは何か……といっためんどくさい話は省略する。きみがいま思い浮かべたサヨク/ウヨクの定義・イメージ、そこから大きく外れることはないだろう。

セカイ系の舞台設定と、それに対する主人公の態度からうかがえるのは、どうせ自分が何をしても社会が大きく変わることはないという根深い諦念である。投票したって……署名したって……デモ行進したって……これはある意味では現行の社会体制への(盲目的な)信頼であるとも言える。

そんな負け犬・奴隷根性が、サヨクたちにとって憎悪の対象となるのも当然だ。彼らは、市民の連帯による社会の改革を目指しているのだから。目障りでもあり、都合が悪くもあるだろう。

一方のウヨクは、戦闘美少女を愛玩することこそあるが、実のところ基本的に「戦いは男の仕事!」という「前時代的ぃ!」な価値観を共有している。彼らの保守的な目には、戦う少女の背中に隠れつつ少女を通した「世界」へのアクセス権だけは保持し続けるセカイ系主人公の姿(現代で言うところの「イキリ鯖太郎」)が、言語道断の非国民に映っている。

このように、セカイ系にはサヨク・ウヨク双方から強烈に憎まれる条件が、あまりにきれいに揃い過ぎていた。結果として、左右からのたくまざる思想的サンドイッチにより、哀れセカイ系はあっという間にぺしゃんこになってしまった、というわけだ。

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逆に言うと、かつて口をきわめてセカイ系を罵っていたような人々は、その全員がサヨク/ウヨクのいずれかだと思ってほぼ間違いない

ゼロ年代の想像力 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-1)

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右も左も自由(好き勝手)に叩く、このセカイで

現在。ある程度以上ヒットしているコンテンツのほぼ全ては、サヨクとウヨクのいずれか、あるいはその両方に「媚びる」ことで社会に居場所を作っている。具体例はいちいち挙げない。きみがいま思い浮かべたアレもソレもコレも、全部が「そう」なのだと思ってくれれば十分だ。

もはや政治ゲームのフィールドと化した現代社会では、左にしろ右にしろ思想的な後ろ盾を持たないコンテンツの立場は、あまりに弱い。いちど日本刀でメッタ刺しにされ、腹腹時計で木っ端微塵になったセカイ系そのものが復権することは、残念ながらもう無いだろう。

ただ、サヨクやウヨクに取り入る術を知らないどころかそんな発想すらないまま無邪気に舞台に上がり左右からまんべんなく空き瓶を投げつけられる――そんな弱くて愚かな物語たちは、これからも細々と生まれ続けるはずだ。

それらを思想的ピンポールの地獄から救い出す力は、残念ながらぼくにはない。

それでも、静かに見守ることだけは続けていきたい。誰かの記憶に残るのなら、それだけで生まれてきた意味がきっとあると思うから……